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2016/09/22

バイクに乗る理由、乗ってほしくない理由

バイクは危険という言葉の真意についてアレコレ

僕はずっとバイクという乗り物が存在するのに違和感を感じてました。
大学の頃に自動車免許を取って以来、バイクというものは存在自体が道交法違反なんじゃないかなぁとまで思ってました。
車はシートベルトをしないだけで違反になってしまうのにバイクの無防備さはちょっと無責任だよなぁと。

事故を無くすことはできないです。人が運転する以上、絶対に無くならないです。
なので事故を起こしても出来るだけ損害を小さくするように社会は進化しています。
自動車の衝突安全性の基準は引き上げられ、人間にぶつかったとしてもボンネットが柔らかく凹んで出来るだけ怪我をさせないようなものに変わっています。

凹むボンネットで思いだしたのですが僕が大学の時乗っていた車は古い車で、車内の安全性は高いのですがもし人にぶつかったとしたら車は傷一つ無く、相手は大怪我をするタイプの車でした(人にぶつけたことはありません)。
かっこいい車だと思ってましたが、そういった理由でもう生産されることはないです。
でも残念なのではなく、この方向に進むのが正しい姿だと思います。

これは自分が乗る車の話ではなく、むしろ相手の車だと思うとよく分かると思います。
例えば他人の車と正面衝突してしまったとして、相手の車が新型の衝突安全性をクリアしていてエアバッグも備えた車だったので中の人間は軽症で済んだとすると、ショックは受けますが不幸中の幸いという話になります。
でも全く同じシチュエーションで相手の車が古い車だった場合、相手が大怪我をしたり最悪亡くなってしまったりします。
古い車は徐々に少なくなって、やがて公道から姿を消すものです。

同じシチュエーションで相手がバイクだった場合、やはり相手は大怪我をするか亡くなってしまうでしょう。
しかしバイクは新車が作り続けられています。

自分が乗る車は選ぶことができますが、相手の乗る車、あるいはバイクを選ぶことはできません。事故を起こしたくない、事故に合いたくないと思っている、想像力の豊かな運転手はこのような考え方をします。
つまり、出来ることなら公道を走る全ての車が最新の安全基準をクリアしている車であって欲しいと。
カッコいいけど紙装甲な古い車とか、バイクのような危険なものは無くなって欲しいと。
バイクは危険だというよくある言葉は決してバイクの運転手のためを思ってという単純な話ではないと思います。

車を運転するという責任やリスクを負っている小心者のドライバーから見て、危険な古い車、危険なバイクに乗るやつの無責任さが嫌なんです。
あなたの自己満足のために私のリスクが増えているのです。

さてさて、最近バイクの教習を受け始めました。
ここまで言っておいて何やってるんだと自分でも思いますが、世の中には合理的な考え方だけでは割り切れないものがあります。
教習にはなかなか苦労しているのですがうまく免許が取れてバイクに乗ることが出来るようになったら、徒歩と電車を中心とした今の東京のスケール感が変わるでしょう。
ですがそんなことより、もっとそれ以上に何かが変わることを期待しているような感じがします。

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